嵐
J. M. G.ル・クレジオ著
中地義和訳
Tempête:Deux novellas de Jean-Marie Gustave Le Clézio
作品社
ISBN:978-4-86182-557-6
価格:本体2400円(税別)
本書は、ル・クレジオの最新作二篇「嵐」、「わたしは誰?」を所収している。定評ある中地義和訳でル・クレジオの世界を存分に味わうことができる。両作品ともに、アイデンティティーの模索、思春期から大人へ至る過渡期といった、ル・クレジオ作品には馴染み深いテーマが描かれている。「嵐」では、二人の登場人物が交互に語る手法が用いられているが、これもル・クレジオの十八番と言っても良いだろう。では、両作品が過去の作品と同じことを繰り返しているかと問われると、そのようなことはない。実際、噛めば噛むほど違う味わいが出てくる円熟味を増した二篇である。
「嵐」では、母親は海女で、父親を知らない13歳の女の子ジューン、そして過去にあった事件の呪縛に苦しめられている初老の男性キョウの関係が描かれる。舞台は韓国南部の小さな島である。相互の語りが進むにつれて、両者を隔てる距離は縮まり、二人の抱える傷と謎が明らかになっていく。まるでパズルが一つずつはまっていくかのように物語の全貌が少しずつ見えてくる。ところが、このパズルは最後までは完成されない。読者は読み終わった後にところどころ空白のままに残されたパズルを眺めながら、味わい深い余韻に浸ることになるだろう。
「わたしは誰?」の原題は「アイデンティティーのない女」である。実母を知らないラシェルという娘が、空洞のアイデンティティーを埋めようと模索する物語で、邦題は見事に作品の核を言い当てている。ここでも思春期の脆くも暴力的な感情が、繊細かつ流れるように描かれている。人は過去という実体によって支えられたアイデンティティーを頼りに生きている。その支柱なしには未来はおろか現在と向き合うことさえできない。ラシェルの乾燥したざらざらの感情に触れながら、何が我々の現在を形成しているか思い知らされる作品である。