フラン•パルレ Franc-Parler
La francophonie au Japon

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ドミニク・レギュイエ、認定NPO法人 国境なき子どもたち事務局長
投稿日 2011年5月1日
最後に更新されたのは 2023年5月25日
国境なき子どもたち:本当の援助
 
1998年にフラン・パルレは、国境なき医師団日本の事務局長であったドミニク・レギュイエ氏へのインタヴューを行った(フラン・パルレ No.5)。その彼が日本で設立した人権団体、国境なき子どもたちは、今回の東日本大震災で被災された人々に対し、積極的な援助を行っている。インタヴューでは、誰もが実行できる支援活動について語ってくれた。
 
Reportage au Cambodge

フラン・パルレ:国境なき医師団から独立した団体として、国境なき子どもたちを設立されたわけですが、どのような理由からですか。
ドミニク・レギュイエ:そうですね。日本で国境なき医師団を設立したのは1992年のことですが、私は2002年まで事務局長を務めていました。その際、日本の子どもにアジアやアフリカの様々な国に住む子どもたちの現状を知ってもらいたくて、国境なき子どもたちという教育的なプロジェクトを始めたのです。その後、カンボジアやフィリピン、ベトナムのストリートチルドレンや刑務所内の子どもたち、青少年を支援することを主な目的とした団体として、徐々に独立されていったのです。国境なき医師団の職を退いた2002年に、このプロジェクトを完全に独立させました。
 
Dégâts du cyclone au Bangladesh

フラン・パルレ:現在はどういった組織となっているのですか。
ドミニク・レギュイエ:今はまだ、ほんの小さな団体です。東京の事務所のスタッフは十数人です。今のところは地域をアジアに限定して、主に生活環境に関する問題に取り組んでいます。まだ、できて間もない団体ですから。アジアの8つの国々へ行き、現地の団体や組織の手助けをします。時には新たに団体を立ち上げたりもします。ですから、実際の活動には職印や協力者が合わせて200人程になります。それぞれの活動には、必ずではありませんが、多くの場合、現地に日本人スタッフがおり、教育以外の仕事を引き受けています。同じ日本人で、日本語を話せる人間が必要なのです。現在、日本以外の8カ国で「若者の家」を作り、以前にストリートチルドレンだった子どもたちや、貧しい子どもたちを受け入れています。他にも色々なプロジェクトがあります。例えばパキスタンでは、学校を設立したり、再建したりといった大きなプロジェクトが進行中です。私たちの取り組む問題は幅広く、柔軟な姿勢で活動を行なっています。子どもたちや青少年に関わる問題の全てを扱い、時にはもう少し年齢が上の若者たちの問題にも取り組みます。来月にはバングラデシュへ行き、4、5年前に台風に襲われた地域に三つの小さな協同組合を立ち上げます。時間はたっぷりあります。子どもたちや若者、教育指導者が共に働いているので、緊急性は求められないのです。私たちが関わった国々とは現在まで、関係が途切れることなく続いています。
 

フラン・パルレ:長い視野にたった活動ということですね。今回の日本での津波被害に対しては、どのような支援が必要だとお考えですか。
ドミニク・レギュイエ:日本では、他の国々とは違った支援を進めています。日本は発展が進んでいない国や、発展途上国とは事情が異なります。当然ですが、世界で最も裕福な国の一つで、隅々まで整備が行き届いています。また、それぞれの機関の管轄がはっきりと分かれています。しかしどんな場合でも重要な事は、どんな人でも、このような災害に見舞われた地域に励ましや支援のの声を届ける事は出来るということです。それは義務ではないにせよ、皆が願う事なのです。被災された方々には国による支援が行われ、被災地で活動する自衛隊は、後方支援も含めると18万人にもなります。物資を届けることに関しては、私たちはここまでの事は出来ません。また、多くの団体が被災地を訪問し、支援物資を届けています。それは素晴らしいことですが、問題もでています。多くの支援物資が溢れている一方、本当に必要なものが足りないのです。
私たちは、まず避難所となっている学校へ行き、大きな被害を受けた方々とお話ししました。また、再結成しようとしていたボランティアの方々ともお会いしました。再結成というのは、震災でグループもばらばらになってしまい、新たにグループを作る必要があったからです。北茨城へ二度、岩手県へ二度訪れていますが、ニ度目の岩手県長期訪問は、現地の教育責任者に会う為のものでした。最初に県庁へ行き、それから各地の市役所、町役場を回りました。つまり、手順を踏んで支援に臨んだということです。その結果、私たちのような私的な団体では異例のことですが、約180もの教育機関を管理する市役所、町役場から数々の活動を認めてもらえました。既に県庁から、活動に対しての了解は得ていました。単なる形式の上ではなく、私たちの活動を心から歓迎してくれましたよ。この二度目の岩手訪問から、来週から始まる新学期や、これからの学校生活に必要な物のリストを作りました。子供達の為の物を列挙したリストです。例えば、これから用意する大きなものとして、来週には、通学バスを約二十台送ろうと考えています。倒壊した学校へ通っていた児童は、別の学校へ通わなければなりませんが、その際には送迎が必要になります。送迎の計画は既に出来ています。私たちは約二十台のバスを買うことで、その計画に参加するわけです。高価なものですが、どうしても必要なものなのです。市役所、町役場とは信頼関係を築くことができて、なかなか思いつかないような物を頼まれます。山田町では、子どもたちが他の皆と同じように学校へ通うために、200着の制服を頼まれました。釜石市では、1000着の制服を頼まれています。
 
フラン・パルレ:企業が援助するのですか。それとも、直接買われるのですか。
ドミニク・レギュイエ:直接買います。個人と企業、それぞれの役割ははっきりと分けなくてはなりません。個人ができるのは、物資を届けることです。企業は、仕事としてそれを引き継いで続けていかなくてはならないのです。もちろん値引きはしてもらいます。何せ莫大な量を購入するのですから。でも、企業に頼り過ぎてはいけません。企業は必要と思ったことを、自ら判断して行っているのです。トヨタは車を援助してくれるのか、といったようなことを時々聞かれます。しかし、私は国境なき医師団で20年間働いてきましたが、トヨタから援助してもらったことはありません。それが彼らの仕事なのですから仕方がありません。ただ、割引はしてもらいます。もちろん、トヨタのトップが援助をすべきと判断したら喜んで受け入れますよ。今朝、フランスだけではなく、世界的なガラス、建築材料の大手グループであるサンゴバンへ行ってきました。家屋を無料で提供してほしいなどといったことは一切頼みませんでしたが、1億円もの寄付をしてくれました。また、建物の再建が始まったら、この縁がもとで、ガラスを含めた様々な資材の割引をしてくれるかもしれません。このように、企業が援助してくれることはあります。でも、私たちが買わなくてはならないときは、値段の交渉をするのみで、それ以上のことはやってはいけないのです。一方、被災した地域で何かを買う際は、なるべく高く買うべきです。そうすれば、地域の経済や、仕事を活性化させることにつながりますから。先ほどの質問に正確に答えると、企業は援助してくれます。とても積極的ですよ。多くの企業が援助の申し出をしてくれています。ANAは2000枚の毛布を援助してくれましたし、ブロンデル・ジャポンは段ボール15箱ものチョコレートをくださいました。些細な事に思われるかもしれませんが、膨大な金額に上るのです。とても助かりました。そのチョコレートは働いているボランティアの若者に配りました。とても喜んでいましたよ。彼らにチョコレートをあげようなんて、誰も思いつかなかったのですからね。
 
Dominique Leguillier et des enfants réfugiés dans un ryokan (Iwate)

フラン・パルレ:あなた方を通じて被災者の方々を援助したい場合は、どうすれば良いですか。
ドミニク・レギュイエ:誰かを通じて援助するということは出来ません。
何か行動したい、という方は大歓迎です。今進めている援助は、膨大な額に上っています。その後、来年の春には全ての学校で様々な活動を始められるようにと考えています。そのためにに約100校の小中学校において準備を進めています。クラブ活動や遊びのグループ、スポーツの集まりなどの課外活動を再開させたり、無い場合には新たに作ったりしています。いろいろなことを再び始めたくても、必要なものが何も無い子どもたちがいるのです。これからそういった子供たちの為に物資の援助を始めていきます。何かしたいと考えてる人は、その援助に参加していただければ良いのです。つまり、楽器やスポーツ用品、ビデオカメラなど、必要なくなった様々な品物を寄付していただければ助かります。被災地に行って直接活動されたいのならば、数カ月後にはいくつか演奏会を行う予定ですので、ご協力頂ければと思います。支援活動をしたいというアーティストの友人が数多くおりまして、彼らの為に、演奏会の日程や場所を調整中なのです。また、助けに向かいたい人は、ご自分で責任を持って行動して下さい。もちろん、ご相談頂けければ、何処へ行くべきかなどのアドバイスをいたします。ただし、本当に多くの人が現地へ向かっていますが、慎重にならなくてはいけません。ただ行くだけでは、被災地の方々の負担になるだけです。どんなことでも、順序を考えなくてはならないのです。
何かをしたいと思いたったら、私たちにご連絡下さい。(kodomo@knk.or.jp)。たくさんのご連絡をいただいているので、少々時間がかかるかもしれませんが、問い合わせには、全て応えしています。ボランティア活動に関する問い合わせならば、担当の女性スタッフがおりまして、大体、次のような質問をさせていただいています。「年齢はおいくつですか」、「運転は出来ますか」、「いつ頃、ご参加いただけますか」。多くの方から問い合わせがあります。例えば、日本を離れることにしたが、車をどう処分すればいいかわからない、といった友人もいました。その際には、こう答えました。「それならば、被災地の誰かに譲りましょう」。どんなことでも良いのです。私たちが何を頼んでから、援助活動が始まるわけではありません。最初の一歩を踏み出すのは、何かをしたいと思いたった人々自身なのです。「何かをしたい」、「私はこれがしたい」、「こういったことはすべきだろうか、やめた方が良いだろうか」、といった具合です。そういった気持ちを持つのはとても良いことです。私はそれについて、どうこう言うことはできません。全て素晴らしいことなのです。
 
2011年4月14日
インタヴュ−:エリック・プリュウ
翻訳:小林重裕
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