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La francophonie au Japon

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パスカル・ヴェロ、オ−ケストラ指揮者
投稿日 2007年4月1日
最後に更新されたのは 2023年5月25日
パスカル・ヴェロ:オーケストラの指揮はフランス式
 
オーケストラ指揮者パスカル・ヴェロは、ヨーロッパ、北アメリカ、そしてアジアの三つの大陸において最高級の楽団を指揮する為に定期的に招かれている。彼はまた、日本のオーケストラ(新星日本交響楽団)の首席指揮者になった初めてのフランス人であった。現在は仙台フィルハーモニー管弦楽団を率いて常任指揮者を務めている。3月3日にすみだトリフォニーホールで行った彼の最新のコンサートは、彼に日本の聴衆との一体感を際立たせるきっかけを与えた。
 
© Franc-Parler

フラン・パルレ:あなたが初めて日本に来られたのは何がきっかけですか?
パスカル・ヴェロ:私は85年に、ある国際指揮者コンクールの為に来たのです。今は東京国際音楽コンクールと呼ばれていますが、民音が当時の主催で、いまだに監修しています。これが私の日本における初めの一歩でした。それから私はしょっちゅう定期的に戻ってきています。
 
フラン・パルレ:小澤征爾氏からはどんな影響を受けられましたか?
パスカル・ヴェロ:そうですね、小澤征爾氏にはボストン交響楽団で彼のアシスタントとして4年間、見てもらうことが出来ましたが…どんな影響、ですか?私にとっては齋藤秀雄という巨匠が始めたオーケストラ指揮の流派がその例であったと思います。そしてそれはフランスのテクニックに一部共鳴する部分もありました。私は小澤征爾のやり方、指揮の方法にかなり近いものを感じたのです。そして特にとてもとても印象的だったのは、彼が示した膨大なエネルギーでした。それが真のインスピレーションです。
 
フラン・パルレ:あなたのオーケストラ指揮者としてのキャリアのスタートには、フランスでの特別な修行があったのですか?
パスカル・ヴェロ:そうですね、私が師事したジャン=セバスチャン・ベロー教授によって象徴されるオーケストラ指揮のフランス式流派がありました。実際、そうですが、その流派はジェスチャーに関してかなり特殊なものでした。そこではとてもとても正確なジェスチャー、空間の制御をやりましたが、それが齋藤秀雄メソードの中に数多く見られるのです。それを見いだしたのは、私がこのオーケストラ指揮法のビデオを多く見たからです。つまり彼は空間にとてもとても正確な何かを描くのです。それから私はこのコンサートの聴衆に向けて、パリのコンセルヴァトワールにはフェンシングの授業があったことを思い出して言ったことが楽しかったです。つまり、これは自らの腕を正確かつ音楽的に動かす術を心得るという(指揮と)同じ配慮が要る競技です。それは実際、小澤征爾先生が常に私におっしゃっていたことです。正確かつ音楽的でなければいけないということです。
 
フラン・パルレ:フェンシングの授業ですか。オーケストラ指揮者は肉体的に大変な仕事なのですね?
パスカル・ヴェロ:基からそうです。こわばっていてはいけないのです。これは肉体的に大変ではありますが、私が言いたいのは、何も要らないということです。特別なトレーニングは必要ないのです。おそらくある程度の肉体的な柔軟性は必要だとは思いますが。
 
フラン・パルレ:フランス人指揮者として、特にフランスの作品を振ってほしいと求められたりしますか?
パスカル・ヴェロ:そうですね、それは私の客演指揮者としてのキャリアにおいては確かに、私にフランス音楽のために振ることを求める場合がとても頻繁にあります。それを私は喜んで受けます、なぜなら私はフランス音楽がやはりまだあまり活用されてないと思うからです。もしとても重要な作品、例えば、今思い浮かぶのは、ベルリオーズの幻想交響曲、ビゼーの交響曲ハ長調、ラベルのボレロなど、を知っていたとしても、多くの他の作品はもっとずっと演奏されることが少ないのです。19世紀末から20世紀初頭の作品群、例えばルーセルとか、私は作曲家の長いリストを作る訳ではないですが、例えばデュパルクとか、ロパルツ、ショーソンなどです。確かにこの音楽を守るためには本当に色々とすることがあります。それをすることを私に求められているので、私はそれを喜んでしているのです。
 

フラン・パルレ:あなたが仙台フィルハーモニー管弦楽団を任されたとき、あなたのお気持ちはどんなものでしたか、そして何から手をつけられたのですか?
パスカル・ヴェロ:私は仙台フィルを得ることをとても幸せに感じていました。なぜなら私は2度訪れていて、そこでフランス音楽を振ることが出来たからです。特にショーソンの交響曲は難しいと評判なのですが、それがとてもとてもうまくいったからです。それは練習段階で大変に掘り下げた真の仕事でした。だから私はちょっと今のところはその路線でいきますが、だんだんにレパートリーを拡げていこうと思っています。私の優先順位としては、まずすべての才能を少し解放することにおいています、とにかく、実際才能を解放し続ける、ということです。つまりそれぞれの演奏家が自由に表現する、そして私が課す枠組みは厳格なものではなく、あらゆるものを許容する枠組みであるべきなのです。
 
フラン・パルレ:ご自身も、演奏家を生業としていらしたのですが、それはあなたの指揮法に影響がありますか?
パスカル・ヴェロ:私はとても幼いうちにピアノを始めて、それから私はオーボエ奏者になりました。私はそれをリヨンのコンセルヴァトワールで学びました。それでおそらく私は管楽器について比較的共感を覚えるのです。その道をすこし、自分でその過程の一端を経験したことで、最終的にかなり近いものを感じています。
 
フラン・パルレ:今年は仙台フィルとはどんな企画を考えていらっしゃいますか?
パスカル・ヴェロ:私は3つか4つの主にフランス音楽の企画があります。詳細は申し上げられませんが、特に4月には、もうすぐですが、日本人にとって2007-2008年のシーズンの始まりのコンサートをやります。そこではシャブリエ、ラベルのボレロが演奏されます。私が思うには仙台フィルはこれらのフランス音楽の作品を存分に演奏する機会がなかったことで満たされていないのです。だから、初めの段階では、これらのフランス音楽の作品を、何と言ったらいいのでしょう、全て演奏し尽くす訳にはいきませんが、やってみようと思います。やはりこれらの少し主立った作品に挑戦して、もう少しフランス的な面を引き出せないかやってみることにします。
 
パスカル・ヴェロ氏略歴
1959年リヨン生まれ、コンセルヴァトワール、国立パリ高等音楽院:オーケストラ指揮部門首席
1985年東京、民音指揮コンクール受賞(第3位、齋藤秀雄特別賞)
1986-1990年ボストン交響楽団にて小澤征爾の下で楽団副指揮者
1991-1998年ケベック交響楽団音楽監督
2001年より東京フィルハーモニー交響楽団首席客演指揮者
2003年よりピカルディ管弦楽団音楽監督
2006年4月より仙台フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者
 
2007年4月
インタヴュー:プリュウ・エリック
翻訳:粟野みゆき|
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