フラン•パルレ Franc-Parler
La francophonie au Japon

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バンジャマン・アラール、鍵盤楽器奏者(パイプオルガン、チェンバロ)
投稿日 2007年11月1日
最後に更新されたのは 2023年5月25日
バンジャマン・アラール:二つの鍵盤楽器への一途な気持ち
 
2004年、ブルージュ国際チェンバロ•コンクールで第1位を獲得した、ノルマンディー出身の若き音楽家バンジャマン・アラール(22歳)は、パリのサン=ルイ=アン=リル教会の正オルガニストであるが、ザクセン州フライベルクの歴史的なゴットフリート・ジルバーマン国際オルガンコンクールを征したところだ。二つの名高いスプリングボードは重要だが、彼が一般の人々と共にあることを妨げない。彼は2008年5月のラ・プティット・バンドのツアーに同行して日本に来るだろう。
 
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フラン・パルレ:あなたはピアノから始められたのですね。なぜチェンバロやパイプオルガンの方に転向したのですか?
バンジャマン・アラール:最初はパイプオルガンの方に行きました。私が生まれた村のパイプオルガンの影響で。それから次に、私はディエップの音楽学校でパイプオルガンを学んだのです。そしてそこには18世紀の楽器が、1736年製の、フランス式の古典楽器がありました。それに私はそのパイプオルガンのおかげで…そのパイプオルガンは私に心底レパートリーを、フランス古典音楽のレパートリー全てを好きにさせてくれた、と思っています。またそれが私をチェンバロの方に向かわせたのです。
 
フラン・パルレ:チェンバロとパイプオルガンは両立し難い楽器ではないのですか?
バンジャマン・アラール:私にとっては違います。何故ならそれはほとんど同じ音楽だからです。いずれにせよ、17世紀と18世紀の音楽なのです。それにピアノと同じ要素があります:19世紀にはパイプオルガンはますますピアノに似てきます。私が思うには20世紀になってから本格的に分かれたのだと思います。そしてパイプオルガンはオルガニストと呼ばれる人によって演奏される楽器になったのです。しかしその前に、専任のオルガニストは、一部の地方を除いて、実際に存在しないと私は思っています:パイプオルガンを弾いていたのは鍵盤楽器の演奏家でした。でもその音楽はほとんど同じで、少しゆっくり演奏出来るといった違い位です。そしてその表現は言うなればもう少し教会に適したものになっています。もっと真面目な感じ、と言えるでしょう。
 
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フラン・パルレ:あなたが特に気に入っているのは、どんな作曲家ですか?
バンジャマン・アラール:そうですね、何人も居ます。バッハと言いたいところですが、これはちょっと万人の好みになりますね。バッハと、それから気に入っている作曲家の多くがそうですが、特にバッハのスタイルに影響を与えた作曲家たちです。私がアンドレアス・バッハ・ブッフ(手稿譜集)に基づいた一枚目のCDで表現しようと試みたように。つまりライネッケ、ブクステフーデのような北欧の作品、あるいはバッハに影響を与えたフランスやイタリアの作品のように。バッハはこれら全ての統合に成功したのです。なぜならバッハの才能は個人的な才能だけでなく、彼がそれまでに聞くことの出来た全てのものが彼の音楽に見られるからです。私は今のところはとりあえずバッハと言っていますが、本当は、私はフランス音楽がとても好きなのです:ルイ・クープラン、ラモー、フランソワ・クープラン等。概して私はむしろ17世紀と18世紀に夢中だと言えると思います。
 
フラン・パルレ:あなたが曲を演奏する時、当時の理念を見いだそうとされていますか?
バンジャマン・アラール:では、グスタフ・レオンハルトが言っていたことを再現しましょう。私は完全に解釈してはいけないけれど、作品はそれぞれの背景に戻してやり、楽器を用いてそれに近づこうとしなければいけません。資料がありますから…そうですね、個人的には、あなたの質問に、はいと応えます。私は当時、音楽がどういう存在でありえたのか、出来るだけ近づこうとしています。とにかく歴史的楽器で出来るだけ多く演奏しよう、作品同士を比較しようとしています。そうすることで総括を試みています。でもいずれにせよ、それはいつも妥協となるのです。何故なら当時どのように演奏していたか知る由もないのですから。でも私は妥協することも知らなければいけない、その時あるものでそのような背景を常に作り上げなければならない、と思っています。同じようには演奏しません。ある種の教養がある大都市の人々の為に演奏するのと、或いは…とにかく、違うのです。私は実際そのレパートリーを共有し、好きになるように試みる必要が有ると思います。それを出来るだけシンプルに分からせようとすることで。
 
フラン・パルレ:楽器の選定は最も重要ですか?
バンジャマン・アラール:そうですとも!それはとても重要です。チェンバロは、それでもどちらかというと基本的な楽器で、相変わらず撥弦楽器なのです。それは言ってみれば、ほぼ同じ音が出るということです。私は少し大げさに言っていますから、正確ではないのですが、無条件にパイプオルガンのように全く違う音が出せるわけではありません。その音はとても原始的です。よってパイプオルガン用の楽器の形はとにかく本当に重要なのです。バッハが知り得たことを尊重すること。そして音を混ぜる時、その音楽を完全に踏襲するのです。様々なスタイルのチェンバロを操り、何を演奏しているのかを知ることは重要なことです。でも、再びグスタフ・レオンハルトによれば:パイプオルガンを良く響かせる為には腕のいいオルガニストは必要ないのです。なぜならパイプオルガンが素晴らしいときは、鍵盤に触れるだけで、いいのですから。一方、チェンバロは、本当に音を出さないといけない。だからそれはかなり異なっているのです。
 
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フラン・パルレ:あなたは古典音楽だけを演奏しているのですか?
バンジャマン・アラール:今のところはそれに限定しています。何故ならそれは作業量が多いと思っていますし、私はそのレパートリーの10分の1も知らないのですから、まだ沢山の仕事があります。もっと最近のものを演奏したらどうかと時々言われるので、幾つかの例外で演奏することがあります。私は何度か現代音楽を演奏しましたが、あまり多くはありません。今のところ、私がそれをやりたくないのではなくて、古典音楽を演奏するのにとどめておきたいのです。
 
フラン・パルレ:あなたはフライベルグのパイプオルガンコンクールで賞をとられたところです。この勢いにのっていこうとお考えですか?
バンジャマン・アラール:私はコンクールに出続けようとは考えていません。何故なら実際、賞のコレクションをするとか、沢山出ようとかは全く思わないからです。私にとっては、2度目のコンクールであったこのパイプオルガンコンクールに出ることは重要だったのです。これはザクセンの素晴らしい楽器を用いて行われたコンクールで、一部バッハが体験したものもあり、楽器の文化と知識の為だけに私はこのコンクールに出ようと思っていたのです。よしんば1度目の挑戦で先にいけなかったとしても、あるいは2度目にそうであっても、大したことはない、なぜなら少なくともこれらの楽器、まさに当時の様相をとどめているジルバーマンの楽器の音を聞くことができるのだから、と自分に言い聞かせていました。でもまあ、それはうまく行って、私が第1位を獲得したのです。これによって私はコンサートの企画になりうる多くの楽器のある環境に入る機会を得たと思っています。実際、私の見解では、このように個人的な企画に繋げるコンクールは、相対的にあまりないです。しばしば人は賞をコレクションし、1等を5個も10個もとりますが、実際、それは賞でしかありません。私は仕事の中に…賞があると思うのです。まあそれでも、賞をとるのは大事なことで、認められるということだけれども、それが10個ともなると、もう何の価値も無いです。私がブルージュに出たのはとても幸せなことでした。なぜならそれが多くのコンサートにつながったからです。それは多くの人たちと出会う機会になり、その人たちが今度はチェンバロにおいて私を信用してくれて、それから2年間は、パイプオルガンを少し忘れて、チェンバロの体制になっていました。だから私はこのコンクールに出たのです。それから今は、とても幸せです。私は二つの拠点を得ましたが、それはまさに私のやりたいことなのです。私は相変わらずこの二つ:パイプオルガンとチェンバロを操ることに成功したいと願っています。
 
2007年10月
インタヴュー:プリュウ・エリック
翻訳:粟野みゆき
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