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ケンゾー・トクオカ、サーカスカンパニー「カレ・キュリユー」芸人
投稿日 2012年3月1日
最後に更新されたのは 2023年5月23日
ケンゾー・トクオカ :一輪だけでOK
 
一輪車の上から、日仏ハーフのサーカス芸人ケンゾー・トクオカは進化を続けるサーカスを生き生きと体現する。神業は過去のもの。今や、サーカスカンパニー『カレ・キュリユー』が チャイニーズポール、空中アクロバット、ジャグリング、ディアボロで演出する詩の出番。ケンゾーは『カレ・キュリユー』の4人組の1人である。
 

フラン・パルレ:あなたはサーカス一家の御出身なのですか?
ケンゾー・トクオカ:全然関係ないんです。サーカス芸人になったけど、サーカス一家の出身じゃなかったし、僕の仲間達も全然違うんです。全員、8歳から10歳の間にサーカスと出遭ったんです。
 
フラン・パルレ:どのような御経歴なのですか? どのようにしてサーカス芸人になられたのですか?
ケンゾー・トクオカ:実は、自宅のあった通りにサーカス学校が出来て、そこで習ったんです。つまり、ちょっとした偶然でサーカスに出遭って、そこで教えていた人がたまたま凄い人だったんです。今も大親友で、僕達みたいな人数の少ないグループの面倒をよく見てくれたんですよ、そういうのってかなりレアなことじゃないですか。その中から、本格的にプロの世界まで続けたのが僕達2人だったんです。僕は8歳で始めて、学校へ行きながら、どんどん訓練しました。13、14歳ごろ、これをやりたいっていう確信はありました。それで、まず仲間達と同じようにバカロレアを取ったけど、進路はそれぞれ違うんです。全員がバカロレアを取った後、ベルギーのブリュッセルにあるESACというサーカスの専門学校に入って、そこで知り合ったんです。
 
フラン・パルレ:最初から、8歳の時から、あなたの芸を表現する手段は一輪車だったのですか?
ケンゾー・トクオカ:一輪車は、少し後になってから、11歳の時からです。
 
フラン・パルレ:この種目の何に魅かれたのですか?
ケンゾー・トクオカ:それが、本当に全然分からないんです。今は多分、説明できると思うけど、それって絶対に解決しないバランスを追求することで、かなり幻想っぽい感じだと言えますね。僕が基本引き付けられるのは単純にそういうことだと思うけど、15年経ってもそれは変わらないですね。目標はもう同じじゃないんです。最初の頃は、単に一輪車の上で姿勢を保つことだったけど、今はどんどん目標が増えてます。もちろんテクニックもだけど、特に、この一輪車で創りだせる動きを通した美と詩の世界の追求なんです。
 

フラン・パルレ:驚くことに、他のサーカス芸人と比べると、あなたは自分の「乗り物」を隠していますね・・・
ケンゾー・トクオカ:ええ、この大きな衣装で演じるのは、ちょっと大きな一歩と言えるかな。アクロバットの追求は終わりそうもないけど、「神業」の道具を隠してるから進歩なんです。実際に動くのはその道具だけど、それは直接には見えないんです。だから、観客に見せることができるのは、別世界なんです。そういう動きの中でコンテンポラリーサーカスは創られたんです。敢えて見せないようにして表現する、僕はそういうところに行きつきました。そういうやり方で予想外のものが出来るから、僕に合ってるんですよ。後は、それだけじゃなくて、このスカートがなくても、いろんなやり方があるけど、例えばこのスカートはって言うと、サーカスの追求をよく表してるんです。僕達にとって、カレ・キュリユーとしてもそう言うだろうし、僕個人としても、いい表現だと思っています。
 
フラン・パルレ:カレ・キュリユーはサーカス学校での出遭いの産物ですね。あなた方はそれぞれ別々の種目をするから一緒にいるのですか、それとも、共通点があるから一緒にいるのですか?
ケンゾー・トクオカ:どっちもですね。基本的には、本当に共通点があるから。サーカス学校で出遭って、結構仲良くなって、一緒に生活したんです。うまくいっていたし、サーカス学校のカリキュラムは3年間なんですが、その半分が過ぎた頃、ある日、僕達はお互いに言い出したんです。「ねえ、一緒に何かやらないか」と。僕達は2人だったから、もう2人に声をかけたんです。2人共、あと2人と一緒に何かやりたいねと話して、そう伝えたんです。こんな感じでカンパニーが出来て、だんだん活動をしていきました。4 人組として修了証をもらいたかったけど、個々の訓練が個別プログラムだったから、それは出来なかったんです。だから、僕達の訓練が終わって、訓練期間が終わり次第、カンパニーを立ち上げました。つまり、カンパニーの構想があったんです。というのは、僕達の頭の中でプロジェクトは既に創りだされていたんです。立ち上げてすぐに創作活動を始めました。
 
フラン・パルレ:やはり一緒に過ごしていると、あなた方のグループ活動がやろうとしていることが見えてくるのですか? 年中ツアーに出ているわけですから。
ケンゾー・トクオカ:今年は、すごくいっぱいツアーをやったんです。2010年夏のアヴィニョン演劇祭での大成功に続く長期ツアーだったんです。その前は、創作活動をしていました。僕達のショーのツアーを始めて2年、ほとんど3 年になりますが、既に実績があるんです。1年目は少しツアーに出て、ショーに対する追求を続けて、2年目も同じ感じでした。いつもよく顔を合わせるんです、どうしてかというと、カンパニーを構成することとか、直接運営している事務的なことがあったり、そのせいか僕達はすごく親密でいられるんですよね。卒業する時にはお互いにもうすごくよく知っていたけど、実は、振り返ると、結局、僕は仲間達のことが、在学中より卒業後にずっと分かったんです。3年前から一緒に生活していたのに。
 

フラン・パルレ:あなた方、カレ・キュリユー シルクヴィヴァンというカンパニーにはターゲットとする観客層はあるのですか?家族連れとか、それよりも最新流行に敏感な人達とか?
ケンゾー・トクオカ:ターゲットはないけど、ありとあらゆる味付けのものが楽しめちゃうようなショーを提案してるカンパニーなんです。なんでもあり、どこでもありのショーだとは言えないです。そうじゃなくて、屋内でしかやらないんですよ、だってそれ用に出来てるショーだから。でも、観客層に関しては、子供向けの時もあれば、むしろコンテンポラリーなショーの常連向けの会場でやることもあります。家族連れの多いものすごく庶民的な会場でやることもしょっちゅうあります。こうしたいろんな人達向けにやる価値のあるショーなんです。もちろん、好きな人もいれば、嫌いな人もいる、それはいつものことなんですよ。でも、とにかく、このショーを比較するのが僕は好きだという自覚はあるんです。これが僕のカルチャーの一部なんです、僕は宮崎駿アニメで育ちました・・・アニメにはさまざまなレベルの解釈があると思うんです。それは子供達にとってもいいものだし、大人達にもすごく素敵な想像の世界に引き入れてくれると思うんです。大人になっても、全然古臭く感じないんですよ。僕達が提案するショーはある意味ではこのジャンルに匹敵すると思っています。僕は宮崎駿と言ったけど、それは僕の価値基準だからです。でも、とにかく、このジャンルの作品や漫画は遊びの要素もあると同時に、人間の条件、コミュニケーション、共有することとか、こういういろんなことについて大人が実際に考えさせられるんです。それは何気に僕達がやろうとしたことなんです。僕達の活動にはものすごく遊びの要素が強い面があるんです。ショーはとっても軽快、かなりコミカル、特に、すごくコミカルな人物が1人いて他のメンバーが巻き込まれていくんです。そこにはくっきりとした詩のニュアンスの部分や、僕達が一緒にいることは何かって本音で考えちゃう部分があるんですよ、広い意味でね。後で細かいことは付け加えることが出来るんです。
 
2012年3月
インタヴュー:エリック・プリュウ
翻訳:大平奈生美
指導:粟野みゆき
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