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『その手に触れるまで』 Le jeune Ahmed
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Crédits : © Les Films Du Fleuve – Archipel 35 – France 2 Cinéma – Proximus – RTBF

『その手に触れるまで』
 
 内気で真面目で、はにかみ屋。ベルギーに住むアメッド(イディル・ベン・アディ)はどこにでもいそうな、13歳の少年だ。凶暴なまでの純粋さを持て余し、何かを信じたくて、何かに夢中になりたくて、そんな彼がたまたま選んだ道が”イスラム原理主義”だった、それだけのことだ。そう言いたいが、それだけのことでは終わらない事件が起きてしまう……まだあどけなさの残るシルエットと人擦れしていない仕草や表情。ダルデンヌ兄弟はあえて、そんな少年をオーディションで選んだ。
 思春期の少年少女が心の闇にとらわれるというのはありがちなことで、何の不思議もない。危険なのは、闇の中で迷子になってしまったとき、明らかに間違っている方向に進んでしまうことだ。だから、間違っているという自覚がない子供に手を差し伸べ、闇をぬけきるまでその手を決して離さずにいる大人の存在が必要不可欠だ。イスラム原理主義に囚われたアメッドにとって、家族以外の女性と手と手を取ることは許しがたいこと。だから、頼ってもいい人に頼ることができず、ひとりで闇の中を歩かざるを得なかった。怖かったろう、辛かったろう……カメラ越しに、ダルデンヌ兄弟の声が聞こえてくるようだった。
 
 コロナ禍で世界中が危機的な状況に陥っていた頃、インターネット越しにダルデンヌ両監督と言葉を交わす機会があった。そのときの言葉が映画のワンシーンのように、今でも強烈に心に残っている。「私たちは今、そばにいる人に触れたいのに触れられない、会いたい人がいるのに会えない、そんな状況にあります。今後も、私たちがこの状況に慣れることはないと思います」。人という存在は、社会と関わりたい存在で、他者と離れることには慣れない存在だと、言葉をひとつひとつ噛みしめるように語るダルデンヌ監督。「買い物に行くとき、すぐそばの人がウイルスを持っているかもしれないと思うこともあるかもしれません。しかしそれは、その人を”信用できない”ということとは違うような気がします。ウイルスは私たちみんなを襲ってくる。ウイルスを持っている人が敵ではないんです。新型コロナウイルスは中国から始まっていますが、中国の人たちがわざとつくったわけではありません。だから、中国の人も、ウイルスを持っているかもしれない人も、敵ではなくて仲間なんです」。こんな状況であっても、いやこんな状況だからこそ私たちは”連帯感”を持っていられる。彼らの言葉を記憶に留めて本編を見ると、さらに深い奥行きがあることに気づくのではないだろうか。(Mika Tanaka)
 
監督・脚本:ジャン=ピエール・ダルデンヌ リュック・ダルデンヌ
出演:イディル・ベン・アディ オリヴィエ・ボノー ミリエム・アケディウ ヴィクトリア・ブルック
2019年/84分
 
Le jeune Ahmed de Jean-Pierre et Luc Dardenne avec Idir Ben Addi, Myriem Akheddiou; 2019, Belgique, 84 min
 
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