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『さよなら、退屈なレオニー』 La disparition des lucioles
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Crédits : ©CORPORATION ACPAV INC. 2018

『さよなら、退屈なレオニー』
 
カナダ・ケベック州の小さな海辺の町で暮らす17歳のレオニー。高校卒業を控える彼女は、モヤモヤ、イライラとした思いを抱えて毎日を過ごしていた。自分のホームタウンを「ゾンビだらけの死んだ街」と言い放ち、口うるさい母親と再婚相手の義父が大嫌い。保守的なラジオDJの義父とは正反対の実の父親、シルヴァンだけがレオニーの拠り所だが、離れた場所で暮らしている。
  そんな不愉快なレオニーの生活に、ちょっとした変化が生じる。ダイナーで出会った中年のロックギタリスト・スティーヴとの出会いだ。スティーヴがギターを教えていることを知り、レオニーは軽い気持ちでギターのレッスンを始めるが……進路を決める時期になっても、自分の道をみつけられない苛立ち。フワフワとただよう自分の感受性をコントロールできずに戸惑う気持ち。ああ、これが思春期っていうやつだ。ずっと昔の青春映画のような甘酸っぱくて爽やかな思春期もいいけれど、こんなリアルな思春期映画も新鮮だ。アメリカ大陸らしい風景にモコモコっとしたフランス語の響きが重なると、そこにはまぎれもない「ケベック」がある。アメリカ映画をフランス語の吹き替えで見ているような、それとも違うような、不思議な感触だ。原題は“La disparition des lucioles”(蛍はいなくなった)。夜中でも明るくしてしまう文明の光にかき消され、見えなくなってしまった蛍の繊細な光。監督はその小さな光にどんな思いを託したかったのだろうか。原題を意識して映画を振り返ると、渇いた感触の映画がしっとりとした質感を帯びていくのを感じた。(Mika Tanaka)
 
監督:セバスチャン・ピロット
出演:カレル・トレンブレイ、ピエール=リュック・ブリラント
2018年/カナダ/96分
 
La disparition des lucioles de Sébastien Pilote avec Karelle Tremblay, Pierre-Luc Brillant; 2018, Canada, 96 mn
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