フラン•パルレ Franc-Parler
La francophonie au Japon

Rédaction du journal:
Rédacteur en chef: Éric Priou
Rédaction: Karen, Mika Tanaka

La francophonie au Japon
Franc-Parlerフランス語圏情報ウェブマガジン フラン・パルレ
〒169−0075新宿区高田馬場1−31−8−428
1-31-8-428 Takadanobaba, Shinjuku-ku, 169-0075 Tokyo

Tel: 03-5272-3440
E-mail:contact@franc-parler.jp
http://franc-parler.jp

エンキ・ビラル、漫画家、アングレーム漫画大賞受賞者
投稿日 2001年5月1日
最後に更新されたのは 2023年5月25日
エンキ・ビラル:刻印のように
 
アングレーム漫画大賞を受賞したエンキ・ビラルの世界とそのスタイルを見分けるのはたやすい。アラン・レネの映画『人生はロマン』の背景を描いたのをきっかけに映画に関心を持ったビラルは『ティコ・ムーン』と『バンカー・パレス・ホテル』を制作。現在は三部作『ニコポル』の最初の二巻の自由な映画化に取り掛かっている。パリ歴史図書館での作品展示会は終わったところだが、『冷たい赤道』の日本語版出版、リヨン国立バレー団の『ロミオとジュリエット』(ビラルが衣装を担当)の公演は、日本人が彼の業績に親しむよい機会となるだろう。
© Franc-Parler

フラン・パルレ:マンガ(日本の劇画)は読みますか。
エンキ・ビラル:ほとんど読みません。(日本の物に限らず)漫画そのものを滅多に読まないので。ある意味では当たり前だし健全だと思います。芸術関係の仕事をしていると、距離をおいて他の刺激を求める必要があるんです。僕の場合はそうです。フランス内外の漫画界の動きは努めて把握するようにしていますよ。重要な教養のひとつですから。でも「マンガ」にはあまり馴染みがありません。日本のマンガ文化がとても大きな広がりをもっていることは知っています。夢のような現象ですね。その中には質の高いものもあればくだらないものもあるでしょう、文化的に認知されたどの分野でも同じだと思います。
 
フラン・パルレ:『モンスターの眠り』には日本文化の要素が取り入れられていますね。たとえば刺身のような。
エンキ・ビラル:それは僕自身の文化の一部なのです。つまり1つの文化を指定しているのではなく、文化の混合ということなのです。生魚を食べるのは僕が10年前からしていることなのであって、生活の一部なんです。これは確かに日本から伝わった習慣なのですが、この頃の流行とは少し距離があるような気がします。このタイプの物語は時間的な距離に大きく依拠していますが、現代のテーマを排除しているわけではありません。むしろ逆です。それらをより直接的に、より深く、ジャーナリスティックな面は弱めて扱う手法なのです。その点にこの落差の効果が出てくるのです。だから料理にしても視覚にしても政治にしても、文化的な混合はすべてグラフィックなボキャブラリーの一部となってナレーションの役割を担ってきます。
 
©Enki Bilal

フラン・パルレ:他にもいろいろな手がかりが出てきますね。『モンスターの眠り』の中にはペレックが出てくるし、メジキャブの名でメジエールも出てきます。
エンキ・ビラル:ちらっとね。ベッソンが映画でメジエールのタクシーを利用していたでしょう。カエサルのものはカエサルに・・・ということです。それで今は僕がベッソンを真似たといわれていますが、これはちょっと話が逆だと思います。空飛ぶタクシーというのは単なる味付けであって、SFのイメージには昔から使われています。1950年代からね。ペレックのほうは『モンスターの眠り』に直接関連しています。これは記憶に関する物語ですから。僕がペレックに出会ったのはヌーヴェル・オプセルヴァトゥールの似顔絵がきっかけですが、それよりずっと以前から、『人生使用法』の頃からのファンだったんです。この作品は僕にとって文学的な衝撃でした。この似顔絵を書いたこと、それからこの絵を自分のアトリエに飾って一緒に生活していたこと。そのときに『モンスターの眠り』を制作していたこと。それが実に特異な記憶の物語であったこと、つまり一人の成人男性が人生の最初の18日間を細部までありありと覚えているという、まったくあり得ない話なんですが、そのことからペレックとこのテーマと、そして「僕は覚えている」という文句の組み合わせが正当化されてくるわけなんです。
 
フラン・パルレ:『罠の女』のイントロであなたは「政治的状況は重要でない」と書いていますね。
エンキ・ビラル:それは『罠の女』と『不死者のカーニバル』の発行の間に6年間の隔たりがあったからです。後者は非常に政治的な作品でした。イデオロギー、ファシズム、政権交代についての本です。僕はどうしても180度の転換をして全然違うものを作ってみたかったのです。もっと内面的なもの、人間的にですね。さらに女性に一人称でナレーションを語らせました。彼女が語り、彼女が書くことによって、前回の物語とは関係がないことをはっきりさせているのです。登場人物は多少似通っていましたがね。
 
フラン・パルレ:大都市の民族紛争を恐れていますか。
エンキ・ビラル:これは予想です。これを書いているときはその危険を実感していました。それが的中しつつあるのは非常に気がかりなことです。パリでさえこうした問題と無縁ではありません。
 
©Enki Bilal

フラン・パルレ:人名や地名に東欧諸国の言葉がたくさん出てきますね。
エンキ・ビラル:『モンスターの眠り』は具体的に言うと旧ユーゴスラビアの崩壊に焦点を当てたものです。作品の狙いはかなり見え透いたもので、僕自分にとっても複雑な意味を持つ特別な時代を思い起こすことにありました。遠く離れたパリに暮らしてはいても、民族浄化や戦争、爆撃、サラエボの包囲などは辛く、耐え難いものでした。そこで何らかの形でそれを語る必要があったのです。それに、この本はともかく東欧にはれっきとした東欧文化があることも事実です。ベルグラードで過ごした子供時代は心に焼き付いています。パリに着いたときにも記憶の映像を詰めた無意識の鞄を持っていたはずです。それが僕の絵画の世界を作り上げているのです。僕にとってそれはあまりにも自明なことであって、説明をしようとしなくても自然にそれが出てくるのです。
 
フラン・パルレ:列車もお好きなテーマですね。
エンキ・ビラル:列車は旅を意味します。僕が9歳のときベルグラードからパリに行かねばならなかったときの旅です。僕は42時間の旅をとてもよく憶えています。これをきっかけに旅行が好きになりました。汽車で旅をすると色々な発見があります。いくらか停滞気味の東欧の一側面。若干後退した、のろくさい、しかし力尽きたわけではない東欧です。ヨーロッパに残された最後のエキゾチズム、それが僕に強い印象を残したのです。少しずつ東欧は西欧に仲間入りしようとしています。すぐにと言うわけではありませんが、ともかく計画はできています。僕は少し前のこの旧式な時代を体験したわけです。
 
フラン・パルレ:エジプト神話は好きなテーマですか?
エンキ・ビラル:むしろ奔放な想像の許される分野です。単なる偶然ですよ。最初の狙いは美的効果でした。エジプトの神々は、人間の体と動物の頭をしています。これは滅多にない発想です。これが出発点になりました。この種の人物を書いてみたいと思い、それからもっと政治的な世界との出会いがあったのです。その二つの混合が僕には異様であると同時に刺激的に思えたのです。こうしてこの三部作が生まれました。その登場人物の一人ホルスは人間よりももっと人間的になりました。人間よりも自尊心が強いのです。その後はゲームのように登場人物が出来てゆきました。
 
フラン・パルレ:エッフェル塔を吹き飛ばしていますね。なぜですか。
エンキ・ビラル:この幻想ですか。分かりません。たぶんエッフェル塔が大好きだからでしょう。それを説明するにはおそらく寝椅子に横たわらねばならないことでしょう。でもこれは僕がパリで最初に見に行った観光名所なんです。父が最初に連れて行ってくれたのがエッフェル塔だったのを憶えています。僕たちはエッフェル塔にあこがれていました。パリの象徴でしたから。エッフェル塔は大好きです。それなのにいらいらさせられます。なぜなら映すのがとても難しいですからね。写真にしても、映画にしても、とにかく使いにくいんです。僕の2本目の映画で使ってみましたが、途中で切れていたり、まだ仕上がっていなかったり半分壊れていたり、はっきりそれとわかる姿ではありません。これは気が遠くなるほど素晴らしいオブジェなんですが、絵の中に収める段になると、僕の手には負えません。どう枠取りをし、どう見せればいいのか。だから、映像の中でうまく使えないのでこんなふうに仕返しをしているのかもしれませんね。
 
2001年5月
インタヴュー:エリック・プリュウ
翻訳:大沢信子
qrcode:http://franc-parler.info/spip.php?article117